こんにちは。ブログの管理人のエイジです。
今回の体験談は28歳で高卒の元ニート、フリーターが1回目の転職を無事?終えて、そこから更に二度目の転職をしていく体験談です。
28歳で二度目の転職って多く見えますけど、フリーターから就職できる企業は条件が悪いところも結構あるので、正社員に就職してからスキルアップしてより良い条件の会社に転職していくというのはよくある流れです。
ポイントは若いうちにいかにスキルアップできるかというところがポイントですね。
ニートからの就職の手順に興味がある人は過去の記事にも書いてあるのでそちらを参考にしてくださいね。

すごいしんどかった入社後研修
新しい会社の初出社日、オフィスに着くと、若い私服姿の青年がいた。「なぜ私服?アルバイトの人かな・・・」と思っていたのだが、後で、彼が夜勤明けの監視オペレーターであることを知った。
オフィスはすごく綺麗で、零細IT企業とは思えなかった。何より、全てのパソコンのモニタが液晶モニタであることに感動した。前の職場では煤けたCRTモニタを使わされていたから・・・。
さっそく自分の席を紹介された。そして、ここでも自分の席が与えられたということに感動です。前の職場では3人が膝を詰め合わせて一つの机を使ってましたから(どんな職場やねん・・・)。
1日目は会社の業務内容の説明なんかがあり、次の日からさっそく研修が始まった。まず、TCP/IPについて1時間ぐらいの簡単な講義があり、あとは会社の書籍棚に置いてあるマスタリングTCP/IP 入門編なんかの書籍を読んでひたすら自習です。
そして、一週間後に、自習した内容を管理職の前で1時間ぐらいプレゼンさせられた。CCNAの勉強をしていた僕は、TCP/IPについての基礎知識はあったんだけど、プレゼンは全然ダメでした。あがり症の僕はここでも緊張しまくって、何を喋ったのかもろくに覚えてません・・・orz
その次はLinux研修。これこれこういった要件(従業員数、一日のメール送受信数、Webサイト訪問者数)で、これこれこういった動作をするサーバをRed Hat Linuxで構築しろ!といった実戦的な内容だった。構築するサーバはDNS、SMTP、POP、Web、Proxyだったと思う。RPMパッケージは使用禁止で、要件を満たすようにオプションを付けてソースからコンパイルしろとの指示だった。
ただ、Linuxに関しては講義も何もなくて、書籍棚に置いてあるオライリー本なんかを参照して、自分で調べて構築する必要があった。僕より前に入社した人は、同時期に入社した人と相談したり教えあったりして構築したみたいだけど、その時期に入社したのは僕ひとりだけだったので結構キツかった。後で上司から聞いたのですが、いかにわからないことを他人に上手に訊けるかという能力を鍛える意味もあったそうです。
自宅でお遊びでLinuxサーバを建てたこともあったし、LPIC Level1の資格も取っていたので、苦しみながらも何とかサーバを構築することができた。分厚いオライリー本を何冊も読むのがしんどかった・・・。
正直、まったくの未経験者には相当キツイ内容の研修だと思う。実際、後で入社した女性は毎日トイレで泣きながらサーバ構築してたそうです。
そして、2週間後に設定した内容と設定値の根拠を文書にまとめ、上司に説明させられた。過去にこの課題に取り組んだ人はみんなWordで文書を作成してたみたいだけど、僕は秀丸でテキストにまとめて提出した。Wordが上手に使えなかったからだけなんだけど、このテキストは非常に上司に高く評価してもらえ、仕事もできないのに後々まで目をかけてもらえる要因になってラッキーでした。
結局、このLinux研修は、「ハードルが高いわりには、ほったらかしすぎる」ということで僕の入社半年後には廃止されました。まぁ、そうだような・・・。
そして、3週間の研修(というか自習)を終え、いよいよ仕事が始まった。
普通じゃないIT系企業の勤務実態
研修が終わって、いよいよ業務開始です。僕が入社したベンチャー企業では、以下の業務を行っていた。
1. 自社ソフトの開発
2. 構築
3. 運用
4. サポート
5. 監視
2~5は、FirewallやIPS(不正侵入防御システム)、サーバ等が対象となっていた。監視オペレータのポジションからの開始と聞いていた僕は、監視→サポート→運用→構築というように、徐々にステップアップしていくのだろうと思っていた。でも、実際は全然違いました。
まず、技術の社員は全員、1~4までのどこかのチームに配属される。そして、5の監視オペレータを兼任するのだ。なんせ技術部門の人間が十数名しかいないベンチャー企業だったので、こうでもしないと24時間365日の監視なんて実現できないのでした。
僕自身は運用チームに配属され、社内サーバやFirewallの運用管理をやると同時に、監視もしてました。その上、人手が足らないのでFirewallのサポート業務もやらされていた。Firewallの教育は全くなかったので、完全に自習です。電話対応でも当然まともに回答できず、何度もお客さんに怒鳴られてました・・・orz
監視業務は交代制で、
平日(3交代)
・9:00~13:00(13:00~18:00までは通常業務のみを行う)
・13:00~22:00
・22:00~9:00
休日(2交代)
・9:00~22:00
・22:00~9:00
といったシフト勤務だった。専任の監視オペレーターではないので、開発チームの人は開発をやりながら、サポートチームの人はサポート業務をやりながら監視もする。具体的には、アラームがなったら監視端末の前に座り、障害の原因調査を行ったり、顧客への報告を行ったりする。
後は、4時間に1回、監視対象サーバのログやりソース等をチェックしていました。自社開発の監視ツールでのチェックだったので、30分程度で終わる楽な作業でした。汎用機系の監視オペレーターだと、帳票処理とかが結構大変と聞くのですが、僕のいた会社は障害が起こらなければ基本的に楽でした。アラームはしょっちゅう鳴りましたけど・・・。
夜勤も、ニート時代に完全に夜型だった僕には、特につらくはなかったです。むしろ、人がいなくて静かな夜のオフィスの方が居心地がよかった。ただ、深夜に鳴る電話は、すごく怖かったです(必ずとんでもないトラブル発生だったりするから・・・)。あと、夜勤と日勤の切り替えはやっぱりしんどかった。体にはよくないですよね。
監視は二人一組でペアを組んでするんですけど、濃密な人間関係が苦手な僕は、二人っきりはちょっとつらかったです。監視の相方によっては、夜の間ずっと寝てる人もいましたけど・・・。
この会社も以前の会社と同じで、労働環境はあまりよくなかったです。ベンチャーということもあり、長時間労働あたり前の文化でした。22:00以前に帰る人はほとんどいなかったし、夜勤明けでそのまま夕方まで残業する日もあった。
あと、24時間365日の監視だから、祝日も年末年始も関係なく、ただシフトに従った勤務があるだけ。「これは一般的な会社員じゃないよなぁ・・・」と、ちょっとヘコみました。
結局、希望していた構築の仕事ができなかったのと(社内サーバの構築はさせてもらえたけど・・・)、人がどんどん辞めて行っている状況で、今後も運用チームから離れられそうになかったのとで、2度目の転職を決意することになった。
二回目の転職で就職支援会社を使う
2回目となる転職活動では、転職支援会社を利用することにした。当時はどんどん人が辞めていっている状況で、技術部門の人間の10人ぐらいは転職活動をしていたんじゃないかと思う。
転職活動中のみんなが利用していたのが転職支援会社だった。当時の僕は就職してから2年ちょいしか働いていなかったので、転職支援会社に申し込んでも断られるんじゃないかと思っていたけど、すんなり受け入れてもらえました。そして、休日にキャリアアドバイザーとの面談を行った。
面談では、最初に今回の転職の動機ついて訊かれた。「構築の仕事がしたいのと、夜勤ではなく通常の生活がしたい。」と率直に答えた。希望年収についても訊かれたので、「今と同じぐらい」と答えた。すると、
「やはり皆さん、構築の仕事がしたいとおっしゃるんですよ。でも、構築未経験の場合にはなかなか紹介できる案件がありません。また、あなたのご経歴ですと年収アップも難しいと思います。まず、夜勤生活から抜け出すことを第一に考えましょう!」
とアドバイスされた。そして、具体的な案件を10件ぐらい紹介してもらったんだけど、運用の仕事がほとんどで、構築の仕事があったと思ったらラブホテルのサーバ構築の仕事だった・・・orz。
その後もポツポツと紹介してはもらったんだけど、カスタマーエンジニアとかサポートとか、食指が動かないような職種ばかり。まぁ、28才で職歴2年、しかも監視オペレータの俺に紹介できる仕事なんてないよなぁ・・・。
紹介してもらった中で1件、これはいいかも!と思った構築の仕事に応募したんだけど、「キャリア不足」の一言で書類選考落ちでした・・・orz
リクルートエージェント だけではダメかも・・・と思い、typeにも登録することにした。そして、やはりキャリアアドバイザーとの面談を行った。
ここでは、26才までの空白期間をするどく突っ込まれ、「企業さんを納得させるためにも、この間に何をしていたのかを経緯書という形で文章にまとめてください。」と要求される。家に帰ってからWord2枚にわたって作文しましたよ・・・。完全なる捏造で・・・。
typeで紹介してもらった案件は、わずか4件だけだった。でも、その中に構築の職種もあったので応募することにした。すると、経緯書の効果もあってか書類選考を通過!面接に備えて、キャリアアドバイザーに模擬面接をやってもらうことになった。
模擬面接ではめちゃめちゃ緊張してしまい、真冬にもかかわらず滝のように汗をかいたのを覚えています。キャリアアドバイザーの、「ダメだこりゃ・・・」という視線が痛かったです。
そして、いよいよ一次面接に臨むことになった。
一次面接を夜勤明けでも無難にこなす
一次面接は、夜勤明けの日だった。朝9:00までの勤務を終え、スーツを持って応募した会社に向かう(夜勤は私服勤務なので・・・)。
会社近くのマクドでスーツに着替えるためにトイレに入る。前の人の流し忘れがあったので、ノブを押して流したら、トイレが詰まってて逆流ですよ。だから流してなかったのね・・・。早々にトイレから退散し、結局、3階の誰もいない店内でスーツに着替えました。
そんなこんなで時間になり、会社に向かった。会社の入っているビルはいかにも雑居ビルといった感じで、天井も低くて薄暗く、怪しげな感じだった。
面接官は二人。事業部長と現場のリーダーだった。正直、面接で何を訊かれたのか今となっては覚えてません。普通の面接だったと思う。ただ、面接官の二人がやけに覇気がなかったのだけは覚えている。
会社の業務内容は、大学のサーバやクライアントの構築ということだった。こっちからは二点、質問をした。構築の仕事ができるのか?ということと、客先常駐の仕事はあるのか?ということを。回答は、「運用の仕事は協力会社の社員がやっていて、当社の社員は構築しかしていない。客先常駐での運用もしていない。」ということでした。
面接の後にはSPI試験があった。マークシート形式だったけど、さっぱりわからなかったです。あと、性格テストもあったけど、この時点で入社する気が全くなかったので、めちゃくちゃ適当に回答したのを覚えています。
後日、キャリアデザインセンターから一次面接通過の知らせが届いた。あんな面接とSPI試験の結果でも通過したんだ・・・と驚いたのを覚えている。この時点でもあまり行く気はなかったんだけど、交通費を出してくれるということだったので、東京本社での最終面接を受けに行くことにした。
ガチガチの役員面接でも無事内定を獲得!
最終面接に臨むため、仮病を使って会社に休むと連絡し、新幹線に乗って東京に向かった。
受付には、内線電話が1台置いてあるだけだった。来訪を告げるために受話器を取ったとき、僕の手はぶるぶる震えてました。まだ面接は始まってないのに、あがりすぎ・・・orz
面接の開始時間まで、応接室のようなところで待たされたのだけど、そこには既に別の応募者がいた。軽く話をしたら、その人は今まで応募先企業の協力会社の社員として働いていて、今回正社員となるために最終面接を受けるということだった。言ってみれば派遣先企業に引き抜かれるようなもので、優秀な人なんだろなと思った。
そして、いよいよ面接が始まった。
ノックして面接室に入った途端、その場の雰囲気に呑まれてしまった。面接室自体が取締役会議室で、会議テーブルの向こう側には、恰幅のいい取締役ばかりが5人も並んで座っていたのだ。5対1の面接なんて初めてで、緊張しまくりです・・・。
名前を告げるのも忘れて立ちつくしていた僕は、「お掛けください」という声でハッと我に返り、イスに腰を下ろした。
面接自体は非常にオーソドックスな内容で、これまでの経歴を一通り説明し、よくある質問に答えるといったものだった。今まで運用の仕事をしていて・・・と説明したとき、左端に座っていた取締役の一人から
「あなたは夜勤もしていたと書いてるけど、これはオペレーターだよね?」
と鋭いツッコミが入った。内心ドキッとしながら、監視オペレータだけでなく運用の仕事も兼務していたのだと必死にアピールしました。
他には英語の勉強もしていることをアピールしておいた。社長に「TOEICの点数はどれぐらい?」と訊かれたけど、面接の1週間ほど前に初受験したばかりで点数がでていなかったので、その旨を伝えた。英語の勉強をしていること自体は、とても好意的に受け取ってもらえたと思います。
面接の手応えは可もなく不可もなくという感じだった。面接が終わった後に、人事の人に一通り社内を紹介してもらった。応募者に職場を見せてくれるなんて、セキュリティが甘いのか、それともいい会社なのか・・・。
面接後に会社を出ると、応接室で出会った人が待っていてくれた。同じく大阪から面接に来たということなので、東京駅まで一緒に帰ることに。協力会社の社員として社内で働いていた人なので、いろいろと社内の雰囲気なんかを聞けてすごく参考になった。「いい会社だよー」と言っていたので、たぶんいい会社なんだろうなぁと。
帰りの新幹線に乗っている途中で、typeの担当者から電話がかかってきて、内定を伝えられた。結果出るのはやっ!ガチガチに緊張した面接だったけど、取締役への受けは非常によかったそうです。提示年収は400万。年収アップは無理だろうと思っていたので、不満は全くありません。
ただ、本当に構築の仕事ができるか不安だったので(もう疑心暗鬼状態です)、エージェント経由で念のために確認してもらうことにした。担当者はイヤそうにしてたけど、こういうことを頼まないとエージェントを利用する意味がないっすからね。
後日、「希望通り構築の仕事での採用」ということを伝えらたので、入社を決意した。上司に退職の意思を伝え、何度か面談を重ねて1ヶ月半後に退職。ようやく、就職当時から希望していた構築系SEとして働くこととなった。
三社目でついにホワイト企業に就職できた
内定後、入社日の前に新しい会社に呼ばれた。そこで初めて具体的な仕事の話を聞かされた。僕がやる仕事は、客先常駐での構築の仕事だった。てっきり自社勤務で大学のサーバ構築をやるもんだと思っていたのに・・・orz
構築ができるということに嘘偽りはなかったけど、客先常駐かぁ。1社目でひどい目にあっているので、できることなら自社の事務所で働きたかった。
3社目となる今の会社では、研修も何もなかった。常駐先に行くまでの3週間ほどは、自習としてUNIXの本を読んだり、LinuxサーバのOSインストールの仕事を手伝ったりして過ごした。
常駐先は、国内大手ITメーカーの子会社だった。オフィスは、プロパー(常駐先の正社員)と請負・派遣社員との区画が、衝立できっちりと明確に分けられていた。あー、やだやだこの感じ・・・。
決まった席というのはなくて、自分のノートPCとPHSを好きな場所に持っていき、LANにつないで仕事をする。このスタイルは開放感があって好きでした。僕らの仕事なんて、基本、ノートPCと電話さえあれば事足りるので。この職場に来て、紙で資料を残すという習慣が全くなくなりました。
常駐先に来てからは、3ヶ月ほど、ひたすら自習と実機を使った検証で製品知識を学んだ。ほんとはOJTで教えたかったみたいですけど、その頃はまったく仕事がない時期だったんです。
初めての仕事は、いきなり、大企業の基幹サーバ構築の仕事だった。もちろん設計なんかは全部リーダーが行うんだけど、実際に手を動かして構築する仕事を任せてもらえた。すごく緊張したけど、構築作業はとても楽しかったです。ずっと憧れていた仕事だったので。
その後は、大失敗したりしながらも、1年半でいろいろな案件を経験させてもらえました。現地で手を動かす作業だけでなく、お客さんに直接ヒアリングして詳細設計をしたり、営業さんとやりとりしたり。なかなかレスポンスがないお客さんのケツを叩いたりするのは、対人交渉が苦手な僕にはとても難しかった。
客先常駐での仕事は、当初思っていたほどイヤじゃなかったです。これはひとえに、リーダーのおかげだと思う。うちの会社からはリーダーと僕の二人で常駐しているのだけど、このリーダーがめっちゃ個性的な人なんです。「俺様が常駐してやっている」という姿勢なので、常駐先に卑屈になるということがない。
なので、プロパーが残っていても、仕事がなければ定時でさっさと帰るし、方針がおかしければ常駐先の会社にも遠慮なくものを言う。リーダーに技術力があるからこそできることなんでしょうね・・・。
大学に常駐していたときは、「大学の職員=神様」、「常駐している俺ら=奴隷」という関係だったのを思うと、圧倒的に今の方がストレスは少ないですよ。1年半、ほとんど毎日定時退社してますから。
あと、客先常駐も悪いことばかりではないなと思った。僕自身は偽装請負の中小企業に属しているわけだけど、国内大手ITメーカーの直系技術者として仕事をすることができたので。自分の経歴では絶対に入れない大企業の仕事を経験することができたのは、ラッキーでした。



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