こんにちは。ブログの管理人のエイジです。
フリーターで就職する人はどうせだったら夢の仕事に付きたいと思いますよね。
では理想の仕事、目標だった仕事に就いている人たちは、いったいどんなプロセスをたどっているのでしょうか?
そこには、通常にはない工夫があったり、大胆なアプローチがあったりします。
実際に、夢の扉を開けた人たちの“決め手”を公開。今すぐ役立つノウハウに迫ってみました。
ありきたりのプロセスでは夢の仕事にたどり着けない
夢の仕事に就いている人たちは、当然のことながら、それなりのプロセスをたどって採用通知を手にしています。
一見、ごく普通のアプローチをしているように見えて、実は、ほかにはない工夫を凝らし、努力をし続けています。
そうした事実に気づかない人たちは、失敗するたびに「運が悪かった」「ついていなかった」などと嘆きがち。
何度失敗を繰り返しても、本当の敗因がわかりません。わからないから、また同じようにアプローチし、同じようにはじき返されます。
ついには、「ハードルの高い夢のような仕事ばかりを追いかけても仕方ありません。とにかく採用してもらえる会社に入ろう」などと、180度方向の違う仕事にアプローチしたりします。
一見、現実的な選択のようだが、実は、これこそミスマッチ就職の大きな要因です。なんの思い入れもない仕事だからこそ、仮に就職できてもすぐ壁にぶつかって頓挫します。
揚げ句の果てに、「もともとどうしてもやりたかった仕事ではないから…」と、あっさり退職。ただいたずらにマイナス履歴を重ねてしまいます。
それくらいなら、たとえどんなにハードルが高くても、やはり本当にやりたい仕事、夢の仕事にトライ。そのための努力と工夫を重ねるべきです。
実現するには、それなりのノウハウが必要。通常ではないプロセスをたどって、なんとか目標を突破しなければなりません。
次に紹介するのは、実際にある特徴的なプロセスをたどって夢の仕事に就いた人たちの体験談。そこから、夢の仕事に就くためのノウハウ、アプローチの方法を学び取りましょう
夢の仕事まで4社を転々とした。
それまで、業界の小さな会社を3回ほど転職。履歴上、かなりのマイナスを重ねたという男性(29歳)は、一時絶望的な気分に陥った、と振り返ります。
「そもそも、大学を留年して卒業。リーマンショック直後だったため、大手は見向きもしてくれず、本当に少人数の会社に就職するしかなかったんです」
マスコミの仕事に就きたくて、広告代理店を志望。人気の大手から下請けの下請けまで、ありとあらゆる会社にアプローチしてみました。
ところが、20社近くの会社にエントリーしたにもかかわらず、すべてが不採用。二次面接に進めた会社でさえ、“本当にこんなに小さな会社でいいのかな?”と逆に思うほど、小規模な会社だったといいます。
「新卒にとっては、社会を知らないだけにドキドキもの。リサーチの仕方さえ満足に知らないものですから、つい外見とか会社規模で判断するしかなかったんです」
結局、泥沼の活動を秋まで持ち越して、なんとか小さな会社に就職。マーケティング関連への配属を希望していたにもかかわらず、営業部に配属されました。
しかも、実際に担当した仕事は、飛び込み営業。半年経って上司から「よし、来月あたりからひとりでやってもらうからな」の言葉にゾッとし、会社を辞めました。
以来、なんとか第二新卒としてやり直せないかと悪戦苦闘。CM制作や商品開発など、華やかな業界ならではの、仕事につながるプロセスを探し続けました。
結果的に、卒業してからわずか2年間のうちに3社に就職。いずれも1年続かないうちに会社を辞めました。
チャンスが巡ってきたのは、苦し紛れに応募した代理店での採用。相変わらず社員10名ほどの小さな会社だったが、面接に立ち会った社長の印象と会社の雰囲気、それに小さいながらも「自社製品を開発中」という話にまず引き込まれました。
失敗を重ねていることから、過大な期待はしなかったが、“これは今までとはちょっと違う”と、実感したといいます。
「まず、大手を介さない直接のクライアントを持っていましたし、社長をはじめとして、若い社員ばかり。独自のメソッドをシステム化して、これから大きく飛躍したい、と具体的な戦略を持っていたんです。運よく、そのプロジェクトスタッフとして採用。同じように若くて経験のあまりない3名のスタッフで、事業を立ち上げることになったんです」
企画の軌道修正から、事業推進に関わる一切の予算取り、事業化スケジュールに採算ラインの設定、外部スタッフも含めた実作業の推進など、まるでひとつの会社を立ち上げるような仕事に奔走。本来、希望していた仕事に近いということもあって、休日返上で業務に取り組みました。
その甲斐あって、半年後には事業がスタート。熱意とスピーディーな仕事ぶりが評価されて、現場のリーダーを任されました。
「小さくて、まだ若い会社だからこそのことだと思うんです。社長が直接指揮して、有能だと思える人材を社歴に関係なく起用。やればやった分だけ評価されるという職場だったんです」
予想より早く採算ラインに乗ったことから、1年後には25歳で課長待遇に。新たな“会社の顔”として、クライアントはもちろん、取り引きのある大手代理店との仕事も任されるようになりました。
「一時はどうなることかと絶望的な毎日を送っていましたけれど、必死にもがきながら、業界に踏みとどまり続けたのがよかったと思うんです。失敗を繰り返しましたが、良質な仕事をする若い会社に入れたのが流れを変えるきっかけになりました。
生え抜きの社員だとか、年功序列だとか、あるいは長年ヒットし続けている固定商品などがある会社に入っていたら、とてもこんなに早く成果を挙げることはできなかった。
下剋上ではないですけれど、逆転の発想で“成果を挙げやすく、スキル&キャリアを身につけやすいところからスタートする”というのも手だと思うんです」
3年後、取引先の大手広告代理店からの要請で、会社同士の話し合いにより移籍。晴れて念願だった仕事に就きました。
「“若いやり手”として引き抜かれたことが何よりうれしかったです。通常のプロセスでは考えられないこと。逆転ってあるんですね」
- 中途採用、若い社員が中心など、チャンスの多い会社を選択
- 与えられた仕事を確実にこなし、信頼を勝ち取る。
- 圧倒的な成果を挙げることで”スーパー社員“の認知を得る
- 仕事の幅を広げワンランク上のステージに立つ
- 満を持して夢の仕事にアプローチする
徹底的なリサーチの末に念願の夢の仕事へ
大学2年の頃より、今の仕事を意識。そうなるためにはどうしたらいいのか、徹底的にリサーチし続けて夢の仕事に就いたという人もいます。
外資系コンサルタント会社でシニアマネージャーを務める男性(27歳)によると、そもそも明確なビジネスマン像を描きだしたのは、19歳の時。他の仲間たちがまだ就職など意識せずに、遊び回っている頃だったといいます。
「ちょうど外資がドッと入ってきた頃のことで、最初は税理士を目指そうと思って大学の経済学部に入ったのですが、これからは経営コンサルタントの方がよりダイナミックに企業経営に携われるのではないかと思うようになったんです。
税務のスペシャリストもいいけれど、最新の経営理論やノウハウを多くの企業に移植するというのは、ボクにとってはもっと面白そう。そう考えて、”だったら、どうすればいいのか?“をリサーチするようになったんです」
よく「進路を決めるのが早い」と言われたが、このシニアマネージャーにしてみれば、「ボクが早いのではなく、文科系の学生が遅すぎるだけ」とのこと。医学部や法学部、工学部などの学生は、入学する時点で将来の進路が決まっており、そのための研究と準備を進めています。
考えてみれば、就職直前まで進路がなかなか決まらないということ自体が不思議で、いい結果が得られなくて当たり前、と手厳しい。
「大学2年で商業簿記1級を取り、3年からは税理士試験の勉強を始めたんです。大学のほかに専門学校に通い、まるで大学受験を続けているような毎日でしたが、これが将来につながると思えば、それほど苦ではありませんでした。根が小心者だけに、少しでも早く夢への切符を手にしたかったんです」
同時に、銀行や銀行系シンクタンクの調査室にいるOBを探し出しては、積極的にアポイントメントを取りつけて、業界研究。適性を確認し、具体的な業務内容、システムなどについても知識を蓄えました。
中には「社内競争が激しいので、よほど専門性があって、目に見える成果を挙げ続けないと生き残れない」とアドバイスしてくれる人もいたが、そうした世界こそが憧れ。逆に覚悟を決める、いいきっかけになりました。
「勉強って、ボクの場合は特にそうなんですけれど、よほどの危機感がないとなかなかできない。持続力が必要なものは、特にそう。集中が続かないんです」
大学の友人たちには、「勉強、そんなに好きなの?」と、よくからかわれました。しかし、いざ就職という段階になると、さすがに本領発揮。外資の中でも人気上位の大手に入ることができました。
しかし、本人の希望は、さらにその上にある世界有数のコンサルタント会社。はじめてのトライには失敗したものの、巻き返しを期して、とりあえずは採用された会社で業務に就きました。
「それはもう、憧れみたいなもので、”この業界ならココ“という風に思い込んでましたから、ボクにとってはこの会社に入ることが大きな夢だったんです。前の会社で2年ほど実務を学んだ後、通年採用に応募して転職しました。第二新卒までの採用枠の中では、かなり専門知識を持っている方だろうと自負して入ったのですが、実際には皆、かなり優秀な人たち。
同じような経緯をたどっている人も多く、”なるほど、こうした業界ではボクの努力なんかごくごく当たり前のことなんだな“とあらためて気づかされました。そうしたプロセスを通らなければ到達できないような仕事も、たくさんあるんです」
- 早い段階から的を絞り、業界を徹底研究
- 適性を確認した上で長期戦を戦う覚悟を決める
- 必要な資格、ベースとなる知識を短期間で修得する
- 基礎キャリアを作る会社に就職して実務経験を積む
- 成果を挙げて目標のベストカンパニーに転職する
夢の仕事へ向けて最初は敢えて異業種へ就職
夢は、映画やドラマ、ファッション誌などで、女優やモデルの衣装を担当するスタイリスト…。現在、多くの取引先を持つ女性スタイリスト(29歳)は、まずヘアメイクのアシスタントとしてスタート。異業種から今の仕事に就いたといいます。
「夢は夢。どうすればそうなれるのか、よくわかりませんでしたし、まったくツテがなかったんです。後になってそういう専門の会社があったり、テレビ局やモデル事務所などに専属のプロが多くいることを知りましたが、地方にいたこともあって、そんなこと、まるでよくわかっていなかったんです。
そこで、とにかくファッションかビューティー関係の世界に進みたいと考え、専門学校へ。美容師の資格を得て、東京のお店にアシスタントとして入ったんです」
最初のうちは右も左もわからずに、先輩たちに怒られてばかり。1年も経たないうちにお店を変えたりもしたが、3軒目でタレントのヘアメイクも担当するプロのいる店に入店。そこでシャンプーからスタートしました。
「やはり緊張感があったし、第一線に立っている感じで毎日が新鮮。忙しかったですけれど、お店が終わってからカットの練習をしたり、メイクの仕方を教わったりと、すごく充実した時間を過ごすことができたんです」
ところが、そのうちモデル撮影のための出張メイクなどといった特殊な仕事に同行するうちに、自分と同じような年代の女性が、多くの衣装を持ってスタイリストに付き添っていることに気づき、そちらの方に興味がいくように。はじめて目の当たりにする夢の仕事に、気持ちがざわめきだすのを感じました。
「たまたま現場で何度か一緒になった人と、アシスタント同士で話をしていたら、”モデルやタレント、テレビ局の要請に応じて、イメージに合った服をチョイスするのが、すごく面白い“と聞いて、もう我慢できなくなってしまったんです。
”私もやってみたい!“と言ったら、ちょっと驚いてましたけど、”知り合いの人に聞いてみてあげる“と言われて…。それで、個人でスタイリストをやっている人を紹介してもらい、ヘアメイクの仕事からそちらに移ったんです」
”もうやり直しはきかない“という覚悟で弟子入り。無我夢中で現場に同行し、走り回ったそうだが、その甲斐あって4年後には、”ひとりでやってみる?“と言われるまでに。師匠の仕事を手伝いつつ、わりと短時間で済みそうな仕事を、少しずつ任されるようになりました。
「すごくうれしかったです。師匠の担当している仕事とは、本当に比べようもないんですけれど、それでもひとりでクライアントと打ち合わせをして、モデルさんやタレントさんのイメージや役柄を考えながら、様々な服をセレクトするのはすごくスリリングだし、楽しい。達成感が違うんです」
今でも、師匠のアシスタントとしてビッグプロジェクトを手伝うが、同時に同じプロダクションに在籍する一人前のスタイリストとしても活躍。仕事を増やしつつあります。夢の仕事に就いていることへの満足感は、ひとしおです。
「夢の周辺にいたことがよかったのかな、と思うんです。チャンスの近くにいて、思い切って手を挙げてみたのが、今の仕事につながっている。現場にいなかったら、こうした展開にはならなかったでしょうから。思い切って踏み込むことの大切さを痛感しています」
- その世界のプロのもとで徹底的な修業を開始
- 技術を盗み、人より早く多くの仕事を経験する
- 失敗を重ねながら卓越した技術を磨く
- 経験豊富なプロとしていち早く社内で自立
- 夢の仕事&業界からオファーを得る
まとめ
夢の仕事に付くためにはみんなそれぞれ戦略を持った上でアプローチしているようです。
最初から狙った仕事につくことは難しいかもしれませんが、スキルアップを図ってから夢の仕事についていくという手法もあります。
最終的に夢の仕事につけるように色々アプローチしていきましょうね。
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